1. 老化研究

<老化の定義>

老化の定義は様々な類似したものが提唱されているが、基本的には「誰にでも起こる、進行性で、最終的に死に至る変化の過程」と言う事ができる。進行性の変化というのは、必ずしも時間のみが変化の程度を規定するものではなく、環境要因が大きな影響を与える場合が多々ある。なお加齢という言葉は単にある個体が時間を経過するという事で、老化とは意味合いが異なっている。

<老化研究に用いられる実験動物>

実験動物を用いた研究は、ヒトでは許されない多様なアプローチを可能にする。特に老化研究においては、ヒトの一生が非常に長くその経過を調べる事が困難であるため、実験動物を用いざるを得ない場合が多い。研究に用いられるマウス・ラットでは、系統にもよるが最長寿命はおおよそ3〜4年程度である(平均寿命は2~3年)。短命であるだけでなく、それと相関するように老化も早く起こり(DNAやタンパク質の傷害の蓄積や、癌による死亡率の増加など)、ヒトと類似した多くの老化形質を示す。ハエや線虫や、果ては酵母までもが老化研究に用いられる。

<ハエの老化>

ハエ(ショウジョウバエ)は25℃の飼育で、系統によって最大50~80日生きる。ただし、変温動物であるハエ、線虫や単細胞生物である酵母などの寿命は飼育温度を下げればある程度まで長くなる。加齢に伴いハエでは運動能力や生殖能力、心臓機能、代謝機能などが低下する。脳や筋肉、腸、脂肪体などにリポフスチンの沈着も認められる(Grotewiel et al., 2005 #144)。

<線虫の老化>

老化研究に用いられる線虫、Caenorhabditis elegans(C. elegans)は自然の中では細菌を餌として地中で生活している。成虫の体長は1mmほどで、たった959個の体細胞から表皮、神経、筋肉、消化器官、生殖器管が構築されている。C.elegansは卵巣と精巣を併せ持つ雌雄同体が基本で、まれに染色体不分離により雄が出現する。標準の飼育温度は20℃で、寒天培地上での平均寿命は20日、最大寿命は30日ほどである。加齢に伴い動きが鈍くなり、筋肉、消化器官が自己融解を起こしてゆき、神経系が障害を受けて死ぬ。加齢と共に腸管のまわりにリポフスチンが蓄積する。

<酵母の老化>

酵母(出芽酵母)は非対称分裂によって増える単細胞の真核生物である。酵母の寿命には二種類の定義がある。一つは分裂を停止した細胞の生存期間で、経時寿命と呼ばれ、系統及び飼育環境によって平均数日から数ヶ月である(Fabrizio & Longo, 2003 # 1)。もう一つは分裂寿命と呼ばれ、(母)細胞が分裂(出芽)可能な回数を表す。分裂可能回数は一定の環境下、特定の系統においても固有のものでは無く、同じ分裂回数の酵母を集めてきて分裂寿命を調べると分裂に伴い生存率は直線的に低下してゆく。非対称分裂に際して、傷害を受けた分子は母細胞に蓄積するようになっており、娘細胞は若返っている(この非対称な分配はSir2に依存している)。母細胞は分裂を重ねると大きくなり、分裂速度も遅くなってやがて分裂が停止し死に至る。

<老化と進化>

生物は進化上個体の生存ではなく種の存続のための適応を遂げているので、基本的に性成熟期以降に起こる老化のような現象に対する淘汰圧は弱いと考えられ、その為もあってか種によって老化のプロセスは大きく異なる。加えてヒトの遺伝的多様性や置かれている環境は実験動物に比べ普通遥かに多様であるため、ヒトとある一つの系統の、例えばマウスとの、集団としての老化形質の比較にはなかなか解釈の難しい面がある。またヒトの寿命は例外的に長く、老化の制御やプロセスに独自な側面をもつ可能性がある。ヒトの長い寿命については、ヒト社会において長期の育児や教育が種の存続に有利であるためにそのような適応がなされたという考えがある。

<ヒトとマウスの老化の差異>

同じ生物種でも系統によって老化形質が異なる事はしばしばある。ある老化形質について見た時に、どのような系統の実験動物でも基本的に同じようにヒトのモデルとなり得る事もあればそうでない事もある。ヒトにおける多くの老化形質は老化研究のために使われる酵母、線虫、ハエといった生物種にはそもそも起こらないし、同じ哺乳類であるマウスやラットでも、ヒトに起こるような動脈硬化やアルツハイマー病が起こらないという重要な違いがある。生物研究では、細胞レベル、臓器レベル、および個体レベルでモデル生物が利用され、注意深くその結果が解釈される。例えば単細胞生物である酵母の研究からは、ヒトの加齢に伴う細胞レベルでの変化やその分子メカニズムに関してヒントが得られる可能性がある。一方で、同じ哺乳類のマウス・ラットとヒトであっても、老化に大きく関係する細胞レベルの制御に大きな差異が認められる点もある。

<老化と性>

有性生殖を行う生物種では、性によって異なる老化形質を示す事も多い。二倍体で、同じ性染色体を一組持つものが雌となるようなハエやヒトなどの生物では雌の方が長命である傾向がある。同じ性染色体を一組持つと雌雄同体となり、これを一本欠くと雄となる線虫では雌雄同体の方が長命である。このような事が起こる理由の一つとしては、二つある染色体が他方の機能を補償できるためという可能性が考えられる。またミトコンドリアDNAは母親にのみ由来するので、これが雌の細胞に適応している事が雌でのより長い寿命に寄与している可能性がある。

<老化学説>

酸化ストレスによる傷害の蓄積は種や性別を越えて広く認められており、近年ではその個体レベルの老化との因果関係についての知見も多く蓄積している。酵母や線虫、ハエなどにおいては、酸化ストレスに対する抵抗性が寿命をある程度規定している事が分かっている。しかしながら、現在得られているデータからは、哺乳類においては酸化ストレスによる傷害の単純な蓄積は個体の最大寿命を規定していないか、あるいはその最大寿命の決定に対する寄与が小さい事が示唆されている。哺乳類の寿命は傷害によるものというよりも、発生や成長のように、主に遺伝的に決定された恒常性維持システムの推移によって決定されている可能性もある。そのように遺伝的に決定される推移は、細胞レベル、組織レベル、及び組織間のネットワークいずれの階層にも起こり得る。細胞の表現系を決定している遺伝子発現の制御については多くの解析がなされてきたが、現在の所少なくとも哺乳類の個体老化のメカニズムの理解にはあまり反映されていない。最も良く解析されてきたmRNAの発現パターンの変化については報告毎の違いがかなり大きく、また加齢変化自体かなり小さい可能性も示唆されている。

線虫やハエが哺乳類と大きく異なるもう一つの点は、線虫やハエの体が基本的に非分裂細胞から構成されているのに対し、哺乳類では幹細胞を始めとする分裂細胞が終生恒常性維持に大きく寄与し続けるという点である。異なる細胞種は同一でないメカニズムで加齢変化を起こし、その個体老化における意義も異なるが、このような違いは分裂細胞と非分裂細胞では特に異なる。加齢に伴い一部の分裂細胞は不可逆的に分裂を停止するが、これは細胞老化と呼ばれる。この細胞老化は遺伝的にプログラムされており、個体老化に寄与している。個体老化に対する寄与よりも、それによる癌の抑制が有用であった為に進化的に獲得されたメカニズムであると考えられている。

食餌が制限された状態で、備蓄や生殖を抑え個体の維持を優先させる制御の存在は酵母からサルにいたるまでの多くの種で認められており、その制御に関わる遺伝子には一部種を越えた共通性が存在する。IIS(Insulin / IGF-1 signaling)やTOR、Sirtuinといったタンパク質はそのような制御に関与している。人為的にこれらのメカニズムを操作する事で、酵母からマウスまで、その寿命を延長させる事ができる。これらのメカニズムは異なる組織で、それぞれ異なる多くの作用を及ぼしている。特定の組織の機能の維持が遺伝子レベルでどのように促進されているのかという事に関しても知見が蓄積している。一方これらのメカニズムに関する研究から、老化の原因が何であるのかという問題にアプローチする事は、酸化ストレスや細胞老化の研究における場合ほど容易では無い。確かにIIS、TOR、Sirtuinは老化に影響を与えるが、だからといって影響を受けるものの中に老化の原因が包含されているとは限らない。IIS、TOR、Sirtuinなどを通じて老化が抑制された場合でも、通常の加齢変化では起こらない変化が別に起こる事で老化の表現系がある程度まで抑制されているという可能性は考えられる。


  • 最終更新:2013-02-13 10:09:58

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