4.1 老化とトランスクリプトーム

<老化のトランスクリプトーム解析>

一ヶ月齢から24ヶ月齢までのマウスにおいて加齢に伴う遺伝子発現変化を調べると、 多くの組織でせいぜい1%程度の遺伝子についてしか変化が認められないという報告がある(Zahn et al., 2006, 2007, Kim, 2007)。加齢に伴う遺伝子発現変化の程度も比較的小さい場合が多く、変化のほとんどは2倍以下の差である。ずっと多くの遺伝子について差が認められる事もある。それらの違いは飼育環境の違いや実験系の差異によって生じている事が考えられる。線虫、ハエ、マウス、及びヒトで共通する遺伝子発現の加齢変化を調べた解析では、ミトコンドリアの電子伝達系に関与する遺伝子群の発現が共通して低下してゆく傾向にある事が報告されている。リソソーム関連遺伝子についても同様に加齢に伴い発現が上昇してゆく傾向が種間を越えて認められようである(Kim, 2007 #72)。

<遺伝子発現パターンの複雑な推移>

加齢に伴う遺伝子発現変化は、同じ組織でも部位毎に、またさらに細胞毎に、性によっても異なってくる。加えて、変化が起こるタイミングも遺伝子によって異なり、同じ遺伝子でも一生の間にある時期には発現が増加していきその後は逆に減少していくというような事も起こる。例えばヒトの脳において上頭前回、中心後回、海馬、内嗅皮質で加齢に伴う遺伝子発現変化の様相はかなり異なっている事が報告されている(Berchtold et al., 2008 #71)。解析された20〜59歳の群と60〜99歳の群の比較では、上頭前回で他の領域よりもほぼ二倍以上の数の遺伝子について発現変化が認められた。どの領域でも60〜79歳の群と80〜99歳の群の比較では発現変化があまり認められなかった。また、上頭前回と内嗅皮質では、他二つの領域と異なり、20〜39歳の群と40〜59歳の群との比較でも発現変化があまり認められなかった。加えて、男性と女性では変化が起こる遺伝子の数、及びその時期に大きな違いが認められた。特に上頭前回の加齢変化は女性で大きく、その変化はアルツハイマー病において見られる発現変化と相関を示した(Yuan et al., 2012 #343)。一方で、ヒトの腎臓では、皮質と髄質で発現パターンが大きく異なっているにも関わらず、老化に伴う遺伝子発現パターンの変化はどちらも非常に類似している。その変化パターンのおよそ半分は血球成分の増加を反映したものと考えられ、残りの変化については、発現が増加する遺伝子の中に細胞外マトリックスの制御に関わるものが多く含まれるという特徴が認められている(Rodwell et al., 2004 #543)。ミトコンドリア関連遺伝子の発現は低下傾向にある。マウスの心筋では、細胞毎の遺伝子発現パターンのバラツキが加齢に伴い増加している事が報告されている(Bahar et al., 2006)。

また、ヒトの前頭皮質で加齢に伴うmRNAとmiRNAの発現変化を調べた報告では、成熟期以降発現が変化する遺伝子の約4割について、発現の変化が生後半年以降から既に進行している事が示されている(Somel et al., 2010 #73)。成熟期以降の遺伝子発現の変化よりも、生後から生後半年までの遺伝子の発現変化の方が程度が著しい。成熟期以降発現が変化する遺伝子の約3割について、生後半年の間では逆方向の発現変化が起こっていた。miRNAについても、またmacaque(ニホンザル)についても同様な傾向が認められている。

マウスでは、その系統によっても加齢に伴う遺伝子発現変化のパターンは大きく異なる。異なる7つの系統のマウスで、5ヶ月齢と30ヶ月齢での心臓での発現変化パターンを系統間で比較した時、それぞれの系統ではおよそ1000から3000遺伝子が発現変化を示しているにも関わらず、わずか20遺伝子のみが、少なくとも6系統間で共通して変化を示していた。脳ではそれぞれの系統ではおよそ4000から9000遺伝子が発現変化を示しているにも関わらず、わずか99遺伝子のみが、少なくとも6系統間で共通して変化を示していた。この20遺伝子と99遺伝子にはそれぞれ炎症に関連するものが多く、C4は共通して発現が増加していた。また20遺伝子中の19遺伝子、および99遺伝子中の82遺伝子は発現が増加していくものであった。それぞれいくつかの遺伝子について更に調べたとき、発現が直線的に増加していくものもあれば、ある時期以降に変化を示すもの、上がったり下がったりする時期のあるものなどがあった。CR(5ヶ月齢からの処置)や一部の抗酸化剤(15ヶ月齢からの処置)はこれらの遺伝子発現の変化を抑制した。なおひとつひとつの系統について見たときにも、その系統で発現が変化している遺伝子群の中には炎症に関わるものがEnrichされている傾向が認められた(Park et al., 2009 #451)。

<加齢に伴う遺伝子発現変化と食餌制限(CR)>

CRは加齢に伴う遺伝子発現変化をかなりの部分抑制する。14ヶ月齢マウスに通常食、通常食+レスベラトロール、CRの三通りの処置を施した報告では、心臓、骨格筋、脳の遺伝子発現変化の抑制に関してレスベラトロールの投与がCRと類似した効果をもたらす事が報告されている。レスベラトロールの投与を受けた群では、CRを受けた群と異なり体重の変化は起きていない。CR群ではIGF-1の血中濃度が低下していたが、レスベラトロール群では変化が無かった。心臓ではCRは約9割の遺伝子発現変化を抑制し、5割についてはその抑制効果は統計的有意差をもって認められた。CRとレスベラトロールによって発現が影響される遺伝子は約70%が共通していた。ただしCRとレスベラトロール投与は通常の加齢変化では起こらない変化も多く引き起こしてはいた。CRやレスベラトロールは遺伝子発現を若返らせるだけでなく、心機能をも若返らせていた。一方同時に行われた解析では、骨格筋と脳におけるCRとレスベラトロール投与の加齢に伴う遺伝子発現変化の抑制効果はより小さかった。CRとレスベラトロールは骨格筋と脳ではそれぞれ19%及び13%のみを抑制した。ただし興味深い事に、CRとレスベラトロール投与に対する脳の遺伝子発現の応答自体は心臓とかなり類似しており、骨格筋のそれだけ大分異なっていた。CRとレスベラトロール投与の効果の類似性はいずれの組織でも高かった(Barger et al., 2008 #74)。別の報告で2-3ヶ月齢からCRを施したマウスではずっと多くの加齢変化が抑制されていた(Edwards et al., 2007)。腎臓でも5ヶ月齢からのCRが加齢に伴う遺伝子発現変化の大部分を抑制するというデータが存在している。また11ヶ月齢から処置を開始し、18ヶ月齢から27ヶ月齢に至る迄の加齢変化に対するCRおよびレスベラトロールの効果を調べた報告では、肝臓では高い抑制効果を認め、骨格筋でもやや効果我認められたが、それらに対して心臓や脂肪組織に対する効果は非常に小さかった(Pearson et al., 2008 #407)。12ヶ月齢から24ヶ月齢までのCRの効果と、6ヶ月齢から24ヶ月齢に至るまでのWATの加齢変化(タンパクの発現)を比較した解析でも大きな抑制効果は認められなかった(Valle et al., 2010 #431)。

上記はマウスについてのデータであるが、ラットで4ヶ月齢からCRを施した解析では、WATでは加齢に伴う遺伝子発現変化が良く抑制されていたが、心臓ではそうではなかった(Linford et al., 2007 #405)。海馬CA1、CA3、DGについて、18ヶ月齢からのCRの効果を調べた解析では、CRは大きな変化をもたらすものの加齢に伴う遺伝子発現パターン変化はあまり抑制されなかった(Zeier et al., 2011 #404)。



  • 最終更新:2013-02-13 11:28:02

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